翻訳と余禄

一トンの水

■ 天上を編む

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 朝おきると、ラジオをつける。わたしの部屋には長いこと時計がなかったので、携帯電話で時間をみる手間さえ惜しい朝には、ラジオをつけて耳で時間を確認していた。そのくせが、壁かけ時計がやってきてからも、まだ少し残っている。

 シカゴの公共ラジオを選び、National Public Radioの夕方のニュースを流す。アメリカは、ちょうど昨日の夕暮れ時なのだ。毎朝、昨日のアメリカから、わたしの一日は始まる。

 さまざまなニュースとインタビューの間に、けっこう頻繁に、交通情報や天気予報がはさまる。シカゴの主だった通りの名前や、今の気温を聞きながら、とおく離れた大都市を想像する。ウィスコンシンにいたときも、シカゴは遠い街だったけれど、いまはそれよりさらに、とおくとおく離れている。時間さえ、同じ時間にはいないのだ。

 

 アメリカに散らばっているそれぞれの大きな都市では、抗議のために市民が集まっている。憤りを感じたときや、ネガティブだけれど伝えなければいけないことがあるときに、それを言葉や行為にしている人々がいる。

 

― What did you take away from you experience? What recommendations did you come up with?

"Accountability. We need to do things to bridge the gap we trust. If we can share information, learn how to work together in our communities and learn to trust one another, then we can build on that."

   (Clarence Castil, the uncle Philando Castil interviewed in Newshour by BBC on July 1st 2020)

 

この経験から学んだことは何でしたか?どのようなことを人々に伝えたいと思いますか?

「きちんと説明することの責任です。わたしたちのそれぞれは異なる信条を持っていますが、その違いを埋めるために、行動をおこさなければなりません。もし、話し合えて、自分たちの共同体で共存する方法を学び、お互いを信じる姿勢を身に付けることができれば、そこから違いを越えてつながっていくことができるのです」

   (フィランド・カスティルの叔父であるクラレンスが、2020年6月1日のBBCのNewshourのインタビューにて)

 

 自分よりも大きな相手に対して、反対の意思を伝えることが、想像するほど簡単ではなく勇気がいるということに、いざ反対の声をあげるとなって気が付いた。声をあげる時、どうかこの流れを止めたいと願うその言葉には、流れを止める重しとして、自分の存在の重さがかけられているようだった。自分の信ずるところだけではく、自分自身の重さを信じ、信じようとする行為なのね。

 

 フィランド・カスティルは、2016年にヒスパニック系の警官とのトラブルで亡くなった。彼も、ミネソタ州に暮らすアフリカ系だった。彼の叔父であるクラレンスの声には、4年後の今でも、やるせなさが芯までしみ込んでいた。彼が話した「各々の信条の違い」というのは、おたがいの血肉を削るほどの違いなのだろうと、思う。アメリカで経験した、信ずる知識が食いちがっているとわかった途端に、全てをかなぐり捨てて各々の思うところにかたくなになる瞬間は、忘れがたい。自分の身一つで頑強な岩壁を割って中に入っていかなければいけないような、そんな途方のなさに、いつもなす術がなかった。そのようなところで、アフリカ系というバックグラウンドを持ち、それによる理不尽な違いに圧倒されたことがある彼が言う「各々の信条の違いを乗り越える」という言葉の意味を、わたしはどのように想像できるだろう。

……

 途方もないことが当たり前のように存在し、しかもそんなことが沢山あるのだと気づいていくと、それがこの世界の普通なのではないか、と考えたくなる。目指すべき当たり前とうたわれるものは、たどり着けない理想なのではないか、と。

 けれど、わたしはどうしてもその途方もないことを、物理学の決まり事のようには、受け入れたくはないのだ。友人と話していて、お互いの考えがどうしても交じり合わないことがあったけれど、もう一度その話が出たとき、思いがけず、わたしたちは相手の言いたいことが分かった、ということがあった。お互いに自分の思っていることを変えていなくとも、同じ泉の前で、お互いの手を取ることができたことは、救いの経験、といっていいかもしれない。わたしたちは一人の時間に、交じり合わなかったことについて、お互いに考えていたのだ。自分たちがそれぞれ、なにを考えているのかを、目の細かな網で、静かにすくって、考えをあらわす言葉はより透きとおっていった。もう一度その話をすることになるなんて、思ってもみなかったのだけれどね。

 

 「天上へなんか行かなくたっていいじゃないか。ぼくたちここで天上よりももっといいとこをこさえなけぁいけないって僕の先生が云ったよ」

「だっておっ母さんも行ってらっしゃるしそれに神さまが仰おっしゃるんだわ」

「そんな神さまうその神さまだい」

「あなたの神さまうその神さまよ」

「そうじゃないよ」

「あなたの神さまってどんな神さまですか」青年は笑いながら云いました。

「ぼくほんとうはよく知りません、けれどもそんなんでなしにほんとうのたった一人の神さまです」

「ほんとうの神さまはもちろんたった一人です」

「ああ、そんなんでなしにたったひとりのほんとうのほんとうの神さまです」

「だからそうじゃありませんか。わたくしはあなた方がいまにそのほんとうの神さまの前にわたくしたちとお会いになることを祈ります」青年はつつましく両手を組みました。女の子もちょうどその通りにしました。(……)ジョバンニはあぶなく声をあげて泣き出そうとしました。

   (宮沢賢治銀河鉄道の夜』)

 

 知ろうとすることを、考え続けることを、やめない。考えるのが恐ろしいことすらあるけれど、答えや解決が出なくてもいいから、細い糸のようでもいいから、やめてしまわない。そうすることは、途方もないことが多い中で、わたし自身を救うような気がする。そうでありたいと、泣きたいような気持ちで願う。