翻訳と余禄

一トンの水

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「来週また来てね」と言われていた皮膚科に、3週間ぶりに行った。気さくな先生のところには、いつもたくさんの患者が集まる。今日はどちらかといえば空いていたけれど、待合室にいれば、必ずだれかのすぐ近くにいざるを得ない。杖をつき、車いすに乗っているような人々と、まだ足し算しか知らないような子どもが多く、彼らの側で待つのはためらわれた。わたしは保菌者かもしれない。わたしはマスクをしているけれど、顔を露わにしている人もいる。ソファーは諦め、入り口の前のスツールに座った。そこも、ご老人に挟まれた場所となってしまったのだけれど、頻繁に開くドアから吹き込む風で、わたしからの飛沫が吹きながされることを願って。

......

 先週の雪のおかげか、この暖冬なのにまだ桜が残っている。こんなときだけれど、桜を見ておきたくて、古墳の公園に向かった。桜が咲き始めているよ、と教えてもらった日から、しらじらと寒々しく曇った日ばかりが続いていた。白い花を枝にたたえた桜を見上げても、現実味がなくよそよそしいような感じがしていた。桜がさけば、良くも悪くもそわそわする。だが今年は、まるで違ってしまっていたのだ。

 もし、今年も桜をきれいだと思えれば、それが何か、いままでと今の断絶をつないでくれるものになるかもしれない。せっかく家も出たことだし、とことん楽しみたくて、途中でパンとお茶を買った。

 古墳の上には、芝の広場と、無料の動物園がある。わたしは、ラマの柵の向かいにある神社の石柱に腰かけた。そこからは、目の前に三本の桜の巨樹を一度に眺められた。信じられないほどの人がいた。今は何も起こっていないのではないかと錯覚する。ひっきりなしに目の前を通り過ぎる人々は、みなラマを見るのに忙しく、桜は気に留まらないようだった。斜面を駆け上がってきた風が、どうと迫ると、花びらが大気にそそがれ、あたりが白く光った。顔やひざには、やわらかいものがぶつかってきた。

 ラジオで聞くニュースは、こことは別の世界のことなのかもしれない。本を読んでいると、その中で起こっている出来事が、現実の中のどこかで起こっていることのように思えてくることがある。毎日ラジオから流れてくる話も、別の世界の話だったのかもしれない。わたしの中で、現実との境界があいまいになっていただけで。

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 母と久しぶりに電話で話した。先週誕生日だったのに、オフィスを封鎖したために急に忙しくなり、お祝いを言いそびれたままになっていた。両親の家は、桜を楽しむにはこれ以上ない桜並木の、真ん中にある。今年はそっちの桜を見に行けなくて残念だ、というと「まだ花は残っているから、明日にでもおいでよ」と言われた。

 揺れた。次の日は日曜日で、今から準備して家を出れば、晩ごはんに十分間に合う時間に着けるはずだ。あの桜の白さを見たい。何より、母に会いたい。日々のニュースで、様々な混乱と変化を見聞きしていて、気持ちが細く細く張ってきていたのだろう。そのまま、つい返事をしそうになった。

......

 行きたいところに行くこと/行けることは、わたしの里程標だ。家の外に一人で出られず、窓辺で外の道の続く先を想像するだけだったり、電車にのってほんの隣町に行くことを怖がっていたころがあった。そこから、他県まで毎日通うようになったとき、自分で外国に行くことができると気が付いたとき、川や海の向こうにいる人に自分から会いに行ったとき、住む場所を自分で選んだとき、そうやって、ドアを開けて行きたいところにたどり着くたびに、おのれの自立と自由を誇りに思った。行先が遠いほど、出発までのスケジュールが過密なほど、自分の存在の強さというものにまで、思いがめぐった。

 わたしは、その成立時に戒厳令を排除することを選択した法のもとにいるとき、法の期待に応えたいと思う。それは同時に、個としての自由を享受する責任を突きつけられ、引き受けることのような気がする。わたしは、初めて気づいた自由の重さに耐えながら、それを自主的に制限させるほどのより大きな力に、おののいていた。

 いま、自分の自由を制限することを自分で選んでいると、それがまるで自立した行動かのように見える。もちろん理性的な判断は、より良い方向へのおい風となる。だけれどそれは、何者かによって書き換えられ得る方程式でもあるのではないだろうか。自由と自立と責任が屹立する土台は、簡単に動かされてはいけないもののはずだ。

 まるで現実味がなく日々が過ぎる中に、なにかが少しずつ溶き入れられているような気がして、そういうものも体に入れてはいけないと思いながら、マスクを消毒し、手を洗った。