翻訳と余禄

一トンの水

■ 虎の経験

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 長かった準備期間が終わり、ようやく旅立っていった。残りの人たちも、明後日には無事に出国し入国することだろう。受け入れ先の声も知らない人と、大きなことを細々と連絡しあい、気まずかったり面倒だったりして、お願い事を無視し無視されながら、ようやくたどり着いた出発の日だった。
 寝不足で頭をもやの中に残してきてしまったまま、朝から気の張る書類の準備や、翻訳をする。じきに小嵐がアトリエに入ってくる。大騒ぎの中ようやく送り出し遅いお昼をとっていると、こまごまとしたお願い事や電話に交じって、大変な連絡が入った。「チケットを渡してもらっていない。橋のところにタクシーを停めて待っているから、足の速い人に渡して、走ってきてもらって」だれかに頼む余裕もなく、お箸を放り出しアトリエをとび出た。息が白く立ちのぼる昼下がり、川を走り抜けて、窓からこちらに降られる手が伸びているタクシーを見つけた。駆けよると黒ぬりの窓が下がり、中から出てきた小嵐の顔は、笑って、少し申し訳なさそうですらあった。チケットを渡しそびれたことを怒られるかと思ったけれど、ねぎらいの言葉と満面の笑顔、そしてタクシーは空港を目指すべく、高速道路に上がっていった。

 

 あまりにも眠たいので、今晩は何もせずすぐに寝ようと思っていたのに、台所に立ってしまった。ずっと立てかけていたごぼうの一本を茹で、もう一本をにんじんと一緒に炒める。茹でたごぼうは包丁の面でつぶして、ごま酢と和える。ごま油と熱がなじんでいく根菜には、おからと茶殻を合わせ、水と醤油とみりんとお砂糖を加えて、煮炒める。先週作っておいた、白菜と鶏と豆乳の汁物は、煮立つほどあたためられ、奥村陶房のお皿によそわれた。今晩食べるのは、この汁物だけにしよう。できたてのおかずがいくらあっても、わたしはたいていどれも食べない。味見をしたら保存容器に押し込み、冷蔵庫にしまう。

 

「引導を渡す」ということばを知ったのは、一休さんの本を読んでいたときだったと思う。鯉を食べるということになったとき、わたしはあれっと思い読み返した。お坊さんは、生きものを食べてはいけなかったはず。しかし何度読みなおしても、和尚さんは鯉を食べようとしている。そのとき、和尚さんは鯉をまな板の上に乗せ、引導を渡した。殺生を禁じられている僧侶でも、引導を渡せば動物を食べられるらしい。生きものを食べないはずのお坊さんと、僧侶には食べられるはずのない鯉。その約束を軽々と超え、生きものどうしの関係性を簡単にリセットした「引導」に、わたしはひかれた。子供向けの本に書いてある、和尚さんが引導を渡すわずかばかりのシーンを参考に、母の料理に割って入っては、料理途中の台所で引導を渡した。

 

 興味本位で始めてみた菜食を終えて、久しぶりに肉を口にしたときの感覚が忘れられない。弾力のある繊維を歯で噛みきったとき、自分のふくらはぎを食べているような錯覚をした。これは、まぎれもなく生きものだ。そのうち、野菜まで気味が悪くなった。放っておくと芽が出たり、芳醇な香りを部屋中いっぱいに振りまいたり、植物の生命力を感じるほど、食べるのが怖くなる。

 

理由も分らずに押付けられたものを大人しく受取って、理由も分らずに生きて行くのが、我々生きもののさだめだ。自分は直ぐに死を想うた。しかし、その時、眼の前を一匹の兎が駈け過ぎるのを見た途端に、自分の中の人間は忽ち姿を消した。再び自分の中の人間が目を覚ました時、自分の口は兎の血に塗れ、あたりには兎の毛が散らばっていた。これが虎として最初の経験であった。

   中島敦山月記』)

 

 自分の命が、他者の命の総体であることに、今さらながらおののいたのだった。他のものを殺さずにはいられない。そこまでの存在に、自分は価しているだろうか。その問いへの答えによっては、肉も何も食べたくなくなってしまう。だけれど、肉体としてのわたしは食べ物を欲する。食べる後ろめたさと、栄養バランスが崩れる心配のはざまで、和尚さんに食べられた鯉を思い出した。引導を渡せば、食べられるかもしれない。

 

 自信を失っていたり、疲れ切っていたり、生命の執着力が弱まっているときにこそ、料理をしたくなる。他者の破壊と分解、新しいものの創造、そして自分の生命の存続を図り保障する料理という行為そのものが、自分が生きていることを実感させるような気がする。生きるために食べるのではなく、他者の命を食べることを自分に許すことによって、逆説的に自分の生が肯定されるのかもしれない。料理はわたしにとっての「引導」なのだろうか。いやきっと違う。引導を渡さないまま、それでも食べることで、他者の命がわたしを生かす。

 

 ぎりぎりまで紛糾した出発の準備に、何か取りこぼしがあるのではと不安だった。渡航の最初のかなめであるチケットを渡しわすれたことで、やっぱり至らないのだ、と早合点してしまった。自分が役立たずなのではないかという不安が、遠くからオスマン帝国軍の行進曲のように響いてくる。不安がわたしを料理に駆らせる。

 だけど、私たちのが誰であるかを決めるのは、自分よりも、いま向き合っている相手であったりする。チケットを受けとり走り去るタクシーから、もう一瞬だけ見えた笑顔。そのときに感じた、空にも手がとどくかと思うような晴れ晴れとした安堵も、やはり栄養に違いない。「無事に渡航できました」という感謝のメッセージや、これまでの渡航の準備を、やっとの思いではあっても、やりきったという事実を、わたしの背骨の中に、大事にしまっていければいいのに、と思う。中身の詰まった背骨に支えられたら、どんなにかしっかり立っていられるだろう。それでもわたしは、自分のやってきたことに、氷上に運動靴で立っているようなおぼつかなさを感じるのだ。一瞬、あの笑顔が脳裏に浮かんだ。きっと今晩も、また料理をするだろう。